正式な色の名前を覚えたがらず、自分で勝手に色の名前をつくっていた
文字の入ったパズルを上下逆さにつくってしまう/そうすることに違和感がない
15と50、12と20を読み間違えたり書き間違える
左右がわからなくなる
文字を反対方向から読んだり書いたりする
ひとつひとつの単語は読めて理解できても文章になると意味が理解できない
4行以上あると行をとばしてしまう
4行以上あると行をとばしてしまう
本を読もうとすると疲労感を感じたり頭痛や吐き気をもよおすことがある
上記はマリのこと...これらは失読症の症状なのだそうです。
失読症とは、文字の読み書きに困難を覚える学習障害の一つです。失読症の人の脳は、通常の人の脳とは異なる領域で文字を処理をするため、読み書きに時間がか かったり、いつまでもスペリングを覚えられなかったりするのだそうです。そのため、読み書きを頻繁にするようになる小学校にあがるくらいまでは、診断がつ きにくいといいます。日本語のように表音文字(かな)や表意文字(漢字)を使う国よりも複雑な発音や不規則な綴りがある英語圏のほうが多いとも聞きます。 識字をする脳の機能が違うからだそうですが、脳はまだまだわからないことだらけですね。
7歳のマリ...
上に いくつかあげていますが、今も読みを苦手とし、なのに書く事に抵抗はなく、線がひいてあれば一応まっすぐには書けます。線がなければ、右から左へ書いた り、螺旋状にしたりします。スペリングは勝手に自分でクリエイトしていて、ちょっと前までは、まるで暗号を読んでいるようでした。(^^;)今年に入って読む文章の量が増えてくると、さらにスピードが落ち、しばしば「車酔いした気分になる」とぐったりするようになってしまいました。頻繁に最初の音をとばして読んだり、簡単な文章でも行が増えたり文字の大きさが変わったり色やスタイルが変わると読めなくなることがあります。
5月、はじめて受けたスタンダードテ スト(Stanford Test)のリーディングがあった初日、マリ自身がそのハンディに気づくことになりました。ゆっくりと時間をかけて問題を読むことは許可されていたのです が、試験官に話しをすることができず、またその試験官と2人で教室に取り残されることが怖かったらしく、適当に◯をうめてしまったというのです。テストをうまく受けることができなかったことが悔しくて恥ずかしくて...と、マリはその夜布団の中でもわんわん泣いてしまいました。スコアなどどうでもよいのですが、本人はそうはいきません。そこで翌日はダニエル登場!布団から引きずり出してとまではいかなかったですが、行きたがらないマリをなだめてく れ、送迎をもかってでてくれました。ありがたい!(^^)これは後で聞いた話ですが...ダニエルは「テストでたくさん間違えるっていうのは難しいもんだ よ、上手にたくさん間違えることができたら(どういう意味だ?)1問間違えるごとに1ドルやろう!」などと言ったそうで...マリは初日は25問くらいは 間違えたと言って、なんと25ドルもお小遣いをもらったのだとか。(@@)この日のテスト中はダニエルが駐車場で待機してくれました。(^^;)携帯さえ使えればどこでも仕事ができるというのは実に便利。心配もさながら、その日のお弁当の時間は何やら楽しそうに試験官と会話をしていたそうで、テストも無事に終えたようです。おそらく二日目は算数で応用があまりないことが幸いしたのでしょう。「できたとおもう」とマリは上機嫌で帰ってきました。
さて、これからホームスクールをどのようにすすめてゆくべきか...
識字能力が劣っているということは、読み書きが必須の伝統的な学校教育では問題ですが、ホームスクールでは、これをハンディとしない方法で学ばせることが可能です。とりあえず、これまでどおりの内容+αで、全科目に読み聞かせ を取り入れ、ディクテーション(聞き取った内容を自分の言葉で言うという方法)を中心にするというメソッドで学習をすすめてゆこうと思います。文字や文章の記憶には 絵や色や音を取り入れてみます。彼女の脳の不思議を観察しながら、その変化に対応できるよう調整してゆかねばね。
Overcome よりEmbrace...
人並みに...とか、将来困らないようにという思いで失読症を障害とし、克服させようとすると、マリも私も憔悴してしまいそうです。むしろマリが持っているものを最大限に生かせる環境づくりに力をいれたいと思います。そして何より今できることを親子共々存分に楽しみたいと思います。そうしているうちに少なくとも基本的な読み書きは自然とマスターしてゆくような気がします。先はどんなことが待ち受けているのか...これもまた、ホームスクールの醍醐味ですね。(^^)
風を警戒している人は種を蒔かない。
Whoever watches the wind will not plant;
Whoever watches the wind will not plant;
雲を見ている者は借り入れをしない。
whoever looks at the clouds will not reap.
whoever looks at the clouds will not reap.
あなたは妊婦の体内の骨骨のことと同様、
As you do not know the path of the wind,
As you do not know the path of the wind,
風の道がどのようなものかを知らない。
or how the body is formed in a mother’s womb,
or how the body is formed in a mother’s womb,
そのように、あなたはいっさいを行われる
so you cannot understand the work of God,
the Maker of all things.
神のみわざを知らない。
(伝道者の書Ecclesiastes11:5)
so you cannot understand the work of God,
the Maker of all things.
神のみわざを知らない。
(伝道者の書Ecclesiastes11:5)
今、マリが横で筆算をしているのを見ながらブログを書いていますが...数字を上から並べることが、計算そのものよりも興味深いようで、 92と29が上下に並んだところで、「おもしろ〜い!」と言って、そのまま止まっています。ありゃりゃ。数のコンセプトよりデザインのほうに気がいってしまうようです。そういえば、はじめてマリがカタカナのイを見たとき、一人でケタケタ笑っているので、どうしたのかと聞いてみたら「だってイは、うすいさん(おじゃる丸にでてくる影のうすい人)と同じ形しているんだもん(シルエットが似ている)」と言っていたのを思い出します。かたかなのイは、ウスイさんのイですって。(^^;)
8 comments:
きこさん、
失読症と言うコンディションがあることさえ知りませんでした。
マリちゃんはホームスクーリングなので、学校で辛い思いをしなくて良かったと、思いました。先生によっては判断を間違い、生徒のテストの成績が上がることで先生自身の評価が上がることを喜びにしていて、生徒の出来ないことを強く言う先生もたくさんいますから。
きこさんと一緒に色々なプロジェクトをこなしていたら、庭やファームからなど、体験で色々なことを自然に学べてしまう。きこさんがホームスクーリングを選択した(導かれた)理由がここにもあったのだろうなぁと感じました。
kaokikiさん、
私もディスレクシアについて知ったのは最近のことなのですよ。
ディスレクシアは、知的な部分での発達には問題はないので、単に読み書きを怠けているというふうにとられることがあるかと思います。しかも、マリにもいえることですが、多くは識字能力の衰った部分をカバーするかのように、洞察力に富んでいるため、「変わった子」というレッテルを張られたままということもあるでしょうね。ホームスクールをしていてよかったなぁとつくづく思います、ホントに。
我が家のけいちゃんは、原因や細かい特徴で違いがありますがほぼマリちゃんと同じ学習障碍を抱えています。でもホームスクールではなく、公立学校教育で学んでいます。
私たちが子供のころのことはよく知らないのですが、現在では英国・米国・日本ともにこういう学習障碍に対応できる体制ができています。もちろんホームスクールほど1対1ではありませんが、各子供のニーズをいろいろな専門家がすくいとり、それに合った教育カリキュラムが組まれます。もちろん費用はかかりません。
教育に「100%の正解」はありません。公教育に携わる人たちは限られたリソースの中でベストの教育環境を提供していますが、保護者の全面的な信頼とバックアップなしでは効果が発揮されません。私自身はホームスクールに対しては肯定的ですが、ご意見の表明に際しては公教育を選択している保護者の方々に学校に対する不信感を与えることのないよう、ご配慮いただければと思います。
イーストリーのだんなさん、
私自身今の公的な教育機関の学習障害に対してどのような体制があるかよく知らないまま、否定的だととらえられる軽卒な意見を述べてしまったことを深くお詫びします。
子ども達のために、ベストな環境を提供するため、また公的な教育機関で新しいことの基盤を構築してゆくために教育に携わる方々は保護者の全面的な信頼を不可欠としていること...そのとおりですね。現在イーストリーのだんなさんがいわれるような学習障碍に対する体制も、保護者と教育機関が一体となってつくりあげたものに違いありません。私達の時代の日本の話ですが、難聴児を抱えていたうちの父が公立の学校で「難聴児を持つ親の会」を率いていたことがありました。障害児教育(当時の言葉そのままですが)に携わった先生方と共に難聴学級をつくりあげるために色々な活動をしていました。その頃の保護者が先駆者的に築き上げたものが今も継続されているかもしれませんし、さらに新しく改善されたこともあるでしょう。しかしそれがなければ、そこには何も存在しなかったかもしれません。ホームスクールをしていると、公的な教育機関との関わりが皆無とまではいかないにしても、希薄になりつつあります。私の場合は、それがひとつ視野を狭めている原因になっていると思います。それと、今回のマリのことでは、ホームスクールをしていなければ、私自身がマリのそういった微妙なコンディションに気がついてやれなかったのではないかという思いが強くありました。
最近、ホームスクールをしていても公的な教育機関でカウンセリングやセラピーを受けることは可能だということを知りました。これから先、マリの学習のすすめ方に関して、どのような選択をするにしてもまだまだ学ばなければならないことがたくさんありそうです。
この度は適切なご指摘とご意見ありがとうございました。
きこさん
そうかあ。
マリちゃんのコンディションに気がつくことが出来てよかったね。
でも、おそらく、きこさんが、どのような教教育体制(?)を選んでいても、
必ず気がつく"とき"があったんじゃないかな・・と、通信を読んでいて思いました。
お祈りしてるね。
fkmさん、
お祈りありがとう。「神様のなさることは時にかなって美しい」でしたね。
マリは、今mnmちゃんのようにあのスパニッシュダンスを踊りたいと扇子(日本の割烹料理店のロゴが入った)をふりふり見よう見まねをやってますよ。(^^)バレエでは左右を間違えやすいので、ふりをからだで覚えるまでは髪の毛の右側に小さなリボンをつけてやっています。「お箸を持つ方だよ!」とリマインドしてやれないので。(笑)
きこさん、
久し振りにブログにお邪魔させていただきました。ファーム、素敵に作られていってますね。サム君もまりちゃんも、伸び伸びと育っているようで、微笑ましいです。
Dyslexiaのお子さんを数人知っていますが、みんなそれぞれ全く違います。見ていて、興味深いです。
そして、障害のあるなしにかかわらず、一人の子供が一番よく学べるアプローチの仕方って、本当に千差万別です。
まりちゃんにとってベストな方法を一番良く分かっているのは、母親であるきこさんを置いて他はありません。きこさんはとても良いお母さんなので、まりちゃん、これからも沢山、沢山、良い事を学んでいくのでしょうね。一緒に頑張っていってください。陰ながら応援しています。
ゆきこ
ゆきこさん、
ありがとうございます。この一年、ファームのほうが忙しくて子ども達は伸び伸びではありますが、かなりの〜んびりと過ごしてきました。夏になってようやくファームのほうが落ち着いてきたなぁと思っていたところで、今度はスクールが忙しくなってきました。マリのこともありますが、サムも10歳...そういうシーズンの到来なのでしょうね。がんばりま〜す!
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