どんなにカフェインを摂取しても、床に着くと難なく眠りについてしまう私には「昼間なるべく太陽の光りにあたって、体内時計をリセットさせておくといいよ...」くらいの時差ぼけ対策くらいしか思いつかない。
朝方、起き抜けに「眠れない...」とメッセージをもらってあわてて祈ることがある。
眠れないってつらい...その倦怠感を想像しただけで憂鬱になる。色々考えていると心配で眠れないというのもわかる。
咄嗟に浮かぶのは聖書の「だから、あすの心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」(マタイの福音書6:34)あす(先)のことを心配しなくていいというこの箇所。
でもそうは言っても、どうしたらあすのことを心配せずにいられるのか...しなくていいといわれてもしてしまう。
そこでこの箇所。詩編143:8。心配の代わりにできることをさがしてみた。神様からのインストラクションを待つこと(楽しみにすること)。そして朝一番に神様に信頼することで行くべき道を示していただくというのはどうかな。
以前、植物学者ジョージ・ワシントン・カーヴァーに学んだ。今日一日なにをすべきかを知るために彼は毎朝森に入り祈りを捧げ、その日の実験の手順を神様に相談していたという。それが彼の成功の秘訣だったとか。
これはクリスチャンならではの特権で、ノンクリスチャンには通用しないだろうとあきらめないで欲しい。
聖書なんてほとんど読んだこともないし、教会など行ったこともないし、行きたくないし、キリスト教なんか関係ないし...と思っている人でも、人類が唯一の神によって創造されていたとしたら、もしそれが真実だとしたら、まず、創造主に「今日わたしは何をすべきか」と問うたとしても罰当たりではないだろう。むしろ、それが創造主を知るため...もしくは創造主との壊れた関係を修復する第一歩となりはしないか。「わたしは何をすべきか」と問う前に「あなたは誰なのか?」と神に問うてもよいと思う。
朝、コーヒーを飲む時間に。またはメールチェックをする前の数分。そういう時間を持つことで小さな何かがかわってきて、それがやがて大きな何かをかえることにつながればと...。
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