Wednesday, July 20, 2011

うちで、うちのにわとりを...


* にわとりを
にするという話題ですので、苦手な方はパスしてくださいね。作業中の写真はありません。

うちで、うちのにわとりを...率直に言いますと...ころしてたべるということです。

これまで何度聞いたことでしょう...首を切り落としたらしばらく首がないままにわとりが走り回ったというこわ〜い体験談。そういう話に怯えながら、にわとりを殺すなんて...ひぃ〜っっ、絶対できない!いや、やりたくない!と思っていました。自分がひよこから育てたにわとりならなおさらできない!と。でもね...ここでにわとりを育て、卵を産ませ、そのライフサイクルを子ども達と学んでいるうちに、よそで買って来たチキンでフライドチキンやチキンティカマサラを作っていることが、とても不自然なことのように思えてきたのです。

にわとりのライフサイクルの肝心な部分にかけていたヴェールを取り除くときがやってきました。

そこで養鶏農家をしているJanに、にわとりのプロセスの仕方を教わることにしました。Janのファームでは、ほぼ毎週のように16〜30羽を手作業でプロセスしているので、業務用のカウンター、羽毛取りの機械、熱湯が沸くタブなどの設備が整っています。しかし、今回は、あえてそれらを使わずに、私たちの生活スタイルに応じた家庭で簡単にできるやり方をJanが再現してくれたのでした。

ナイフの研ぎ方、頸動脈の切り方、熱湯の温度調整、捌き方、衛生管理など、丁寧に手ほどきを受け、私も一羽プロセスさせてもらいました。古くからの言い伝え(Old Wives' Tale)に満月の翌日は雄鶏の息が絶えるのが早いというのがあるそうで、やはりそのようにタイミングをあわせるとプロセスがスムーズに進むと教わりました。なぜでしょう?Janも理由はわからないそうです。にわとりの中をクリーニングするにあたっては、Janはまるで解剖学の先生のようで、私もすっかりラボにフラッシュバックしてしまいました。楽しいと言うのには抵抗を感じますが、はじめから終わりまで心地よい空気に包まれ、緊張することなく穏やかな時間を過ごすことができました。これだったら私にもできる!と思えたのは、Janのおかげです。(^^)

私が弟子入りしているあいだ、子ども達は夏休みで家にいるJanの子ども達の手伝いをして待っていてくれました。特にサムには是非見せたかったプロセスでしたが、よそのファームの手伝いをすること/同年代の子ども達と一緒に作業をすることは、それはそれでとても貴重な体験ですので、とても助かりました。

さ〜〜てそれから2週間後...いよいようちでの本番!

羽を処理するための熱湯
前日、私がJanに弟子入りをしたことを知った近所のファーム仲間から「にわとりを処理することは、祝福なんだよ、だいじょうぶだから」という温かいメールをもらいました。きっと私が「心の準備をするためにも弟子入りしてくるよ...」なんて言ったから心配してくれたのかもしれません。当日は、そのメールやJanが教えてくれたトリックのひとつひとつを思い出しながら、鶏が苦しまないように、命を無駄にしないように、手早く(でも丁寧に)作業ををすすめることができました。

作業工程は...頸動脈を切り、捨血をし、息絶えたところで熱めのお湯に数秒つけ、羽をとる。頭をはずして、内蔵をきれいにして、水で洗い流して終わり。手早くといっても、器具を準備するところから片付けを終了するまでに、なんと4時間近くもかかりました。途中、プロパンガスがないことに気づきあわてて炭火を焚いたり、にわとりを固定する器具(コーン)の口が小さすぎて作り直したりといったハプニングはありましたが、一番時間がかかったのは、準備と片付け、そして慣れない内蔵の処理でした。Bayeuxは肉用の鶏ではないので肉厚ではありませんでしたが、骨太な上に皮がかなり厚かったのです。おまけに足の筋肉が発達していて、まるでロードランナー(ミチバシリ)のような肉のつき方をしていました。(^^;)Janのところで飼われている肉用に改良された品種は、2ヶ月ちょっとで食べごろになるそうですが、Bayeuxは9ヶ月生きていたので、筋っぽくても仕方ありませんね。
ダニエル手作りのコーン

うちでうちのにわとりを...このことを子ども達はどのようにとらえたでしょうか。2人とも大切に育てたにわとりをころしてたべということは理解しており、準備も手伝ってくれました。でもいざ作業がはじまると、マリは離れたところでずっと泣いており、サムは近くでただじ〜っと作業を見ていました。最後のほうは、サムもマリが泣いているのを見て「ぼくも悲しいけど、それよりマリちゃんがかわいそう...」とべそをかいていました。しかしながら翌日にはマリはすっかり元気になり、「Bayeuxは、スープじゃなくて、からあげにしてね」と言っていました。これを機にベジタリアンになるかと思いき や...雑食のままでいたいそうです。(^^;)考えていたよりも子ども達はうまく受けとめてくれたのかもしれません。にわとりの内臓チャートを 見せながら、Bayeuxの臓器がJanの鶏のものよりずっと大きかったこと、また肉は薄かったけれど、骨太で重かったことを話すと、サムもマリもとても 誇らしげでした。

完全なベジタリアンにでもならない限り、人間が食べてゆくというのは、こういうことなんだよね。

私自身、これまで自分が食べる鶏を他人が殺すことには違和感がなかったけれど、いざ自分が 殺す立場になると、かわいそう/残酷/汚いと思ってしまう自分の心と向き合うことができました。さらに、どこかで責任を問われることを恐れて、子どもを教え るということに少々逃げ腰になっていたことにも気づかされました。それとこれがどう関係あるのか?と思われるかもしれませんが、あらためて教育の根本について考えさせられ、新たな覚悟のようなものがかたまってきました。

ダニエルは今回は、器具の準備、羽毛とり、片付けを手伝ってくれました。今度は自分がプロセスを引き受けると次回のための意欲も見せてくれていましたが、はじめてのことに疲労困憊していました。私?ダニエルとほぼ同じ状態でしたが、作業終了後は達成感と感謝の気持ちでいっぱいになりました。まさに祝福を身をもって感じ、メールをくれた友人の言葉をここではじめて理解できた気がしました。次回?この話を友達にしたところ...数人のパパ達が反応してきました。「今度やるときは知らせてね。見学したいから...」って。見学ですと?とーんでもない!せっかく来てくれるのなら一人一羽やってもらいますぞ!!(^^)


写真は、手作りのKill cone(にわとりを逆さまに入れて固定させる器具)と羽毛を取りのぞくために準備した熱湯が入ったポットです。

4 comments:

fkm said...

わああああ!!!!!
読んでいて、本当に、「祝福」をかんじました。

旧約聖書のいえにえについて書かれているけど、それが頭をよぎって。

おめでとう!っていう言葉がそぐうのかどうかわからないけど、そう言いたくなったょ。

きこ said...

fkmさん

「祝福」を感じてもらえて嬉しいです。

自分で育てたものをほふるとき、自分の立場について問われ、謙虚にされました。

詩編144:3

主よ。人とは何者なのでしょう。
あなたがこれを知っておられるとは。
人の子とは何者なのでしょう。
あなたがこれを顧みられるとは。

この箇所が心にすっと入ってきました。

近所のファーム仲間からも「おめでとう」って言われたよ。おもしろいね。なんでだろうね。何千マイルも離れたところにいるfkmさんにも通じたんだなって思ったよ。ありがとう!(^^)

Anonymous said...

Test

Daniel said...

Test once again