二人でデュエット
バイオリンをはじめて2年目のサム。こわ~いダニエルに練習をみてもらい、2回に1回はべそをかいていたサムが、ここ1週間ほど笑顔で練習をしている。奇跡か?またひとつ壁を乗り越えたようだ。
「子供はからだの成長が著しいですから、せっかく覚えた姿勢やボウの持ち方がすぐに乱れて、その度に調節するのが大変なのです。でも、今までできなかったことが急にできるようになるのもこの時期です。」という先生の言葉を思い出した。今までよりずっとよい音が出るようになっているのは確か。
サムが「もう僕練習するの嫌だよ」と言えば、「Good! 練習は難しくてちっともおもしろくなくてあたりまえ。そうじゃなくちゃぁ意味がない!」と言い返すダニエル。何度となく「もうこれやりたくない!」というサムに「じゃぁ、文句を言ったから、1回やり直すところを10回!」と言い。それでも文句を言えば、「20回!」と練習回数を増やしてゆくダニエル。父親が絶対にひきさがらないことを知ったサムは、最近では文句を言わず、数が増えないうちに弾くようになった。いつだったか、同じメジャーを50回も繰り返し弾かされたことがあった。べつにプロのバイオリニストをめざしているわけでないけれど、つらくても継続させることに意味があるように思う。
以前は、将来マリ(チェロ)とサム(バイオリン)で合奏できるようになったらどんなに素敵だろうとか、後どのくらいしたらできるようになるかななどと、ずっと先のことを夢見て、サムにバイオリンを練習させていた。しかし、サムの練習に関わってゆくうちに、今こうやって練習しているこの瞬間がサムにとって大事なときで、今このときがいいんだと思えるようになった。まだ見ぬ将来のために...なんていうのは、実にもったいない気がしてきたのだ。
私自身が変えられたのかもしれない。ホームスクールをしていても、これを今マスターしておけば、次のステップに進みやすいとか、数年後にこれを学ぶときの基盤になる...なんていう考え方は全くしなくなった。むしろ、ひとつのことをとことんまで掘り下げて学びたがれば、分子レベルのことまでも、子供達につきあって一緒に学ぼうという姿勢ができてきた。こういう学び方をしていると偏りがでてきて、年に1度受けなければならないスタンダードテストのスコアに影響するかもしれないが、たとえそのことで咎められるようなことがあっても、「心配いりません、だいじょうぶですから」と大きく構えていられそうだ。あつかましくなったということか?このことに関しては、またいつか書くことにしよう。
バイオリンの話にもどるが、やはりダニエルも同じことを言う。「サムが将来バイオリンを全く弾かなかったとしても、なんとも思わないよ。今、練習しているこの今が大事なんだから...」と。
ある晩、バイオリンの練習を終えたサムがベッドに入り私にこう言った。「ママ、僕はいつかきっとこんな日がくると思っていたよ」と。6歳の子供の口からこのセリフ...ひっくり返って爆笑したくなるのをこらえながら、何のことを言っているのか聞いてみた。「パパがね、僕のバイオリンがとっても上手になったって、よく練習してえらいって言ってくれたんだ。そしてハグもしてくれたよ。こんな日がいつかくると思っていたんだ僕は...」ってとっても嬉しそうなサム。うまく口では言い表せないし、文章にもできないんだけど、サムの表情を見ていると、これなんだなぁ、このために継続する必要があるのだと思わないでいられなかった。
この頑固な父親とのバイオリンの練習(プチ修行とでも言おうか)が、サムの中に何かを育んでいる。それが何であるかはわからないけれど、厳しい父親への恨みつらみではないのは確かのようだ。(ホッ)
「子供はからだの成長が著しいですから、せっかく覚えた姿勢やボウの持ち方がすぐに乱れて、その度に調節するのが大変なのです。でも、今までできなかったことが急にできるようになるのもこの時期です。」という先生の言葉を思い出した。今までよりずっとよい音が出るようになっているのは確か。
サムが「もう僕練習するの嫌だよ」と言えば、「Good! 練習は難しくてちっともおもしろくなくてあたりまえ。そうじゃなくちゃぁ意味がない!」と言い返すダニエル。何度となく「もうこれやりたくない!」というサムに「じゃぁ、文句を言ったから、1回やり直すところを10回!」と言い。それでも文句を言えば、「20回!」と練習回数を増やしてゆくダニエル。父親が絶対にひきさがらないことを知ったサムは、最近では文句を言わず、数が増えないうちに弾くようになった。いつだったか、同じメジャーを50回も繰り返し弾かされたことがあった。べつにプロのバイオリニストをめざしているわけでないけれど、つらくても継続させることに意味があるように思う。
以前は、将来マリ(チェロ)とサム(バイオリン)で合奏できるようになったらどんなに素敵だろうとか、後どのくらいしたらできるようになるかななどと、ずっと先のことを夢見て、サムにバイオリンを練習させていた。しかし、サムの練習に関わってゆくうちに、今こうやって練習しているこの瞬間がサムにとって大事なときで、今このときがいいんだと思えるようになった。まだ見ぬ将来のために...なんていうのは、実にもったいない気がしてきたのだ。
私自身が変えられたのかもしれない。ホームスクールをしていても、これを今マスターしておけば、次のステップに進みやすいとか、数年後にこれを学ぶときの基盤になる...なんていう考え方は全くしなくなった。むしろ、ひとつのことをとことんまで掘り下げて学びたがれば、分子レベルのことまでも、子供達につきあって一緒に学ぼうという姿勢ができてきた。こういう学び方をしていると偏りがでてきて、年に1度受けなければならないスタンダードテストのスコアに影響するかもしれないが、たとえそのことで咎められるようなことがあっても、「心配いりません、だいじょうぶですから」と大きく構えていられそうだ。あつかましくなったということか?このことに関しては、またいつか書くことにしよう。
バイオリンの話にもどるが、やはりダニエルも同じことを言う。「サムが将来バイオリンを全く弾かなかったとしても、なんとも思わないよ。今、練習しているこの今が大事なんだから...」と。
ある晩、バイオリンの練習を終えたサムがベッドに入り私にこう言った。「ママ、僕はいつかきっとこんな日がくると思っていたよ」と。6歳の子供の口からこのセリフ...ひっくり返って爆笑したくなるのをこらえながら、何のことを言っているのか聞いてみた。「パパがね、僕のバイオリンがとっても上手になったって、よく練習してえらいって言ってくれたんだ。そしてハグもしてくれたよ。こんな日がいつかくると思っていたんだ僕は...」ってとっても嬉しそうなサム。うまく口では言い表せないし、文章にもできないんだけど、サムの表情を見ていると、これなんだなぁ、このために継続する必要があるのだと思わないでいられなかった。
この頑固な父親とのバイオリンの練習(プチ修行とでも言おうか)が、サムの中に何かを育んでいる。それが何であるかはわからないけれど、厳しい父親への恨みつらみではないのは確かのようだ。(ホッ)
2 comments:
サム君、成長したね~、6才の男の子は、なかなかそういう事(いつ日こんな日がくると知っていたよ)を言えないと思うのに。
こっちまでうるうるしてきました。
ダニエルさんの厳しさにも(優しさにも)感動しました。
嫌だ、と子供が言えば、じゃあいいよ、という親が多いですよね。特にアメリカの家族は、本人の意思を尊重?してか、そういう親を多く見ます。
でも、マヤの事で学んだのですが、子供が「嫌だ」と言った時に、譲ってしまうと、「嫌だと言ったり、泣いたりすれば、その場から逃れられる」という事を子供に教えるようなものですよね。
それだけは避けたいということで、忍耐で頑張ってますが、厳しくするだけでもいけないし、、、そのバランスが難しい中、きこさんの家族は、上手にやっていますね。
見習わなくては。
スタンダードテストなんて、子供の学力(リーディングと算数)をただ物差しで測るだけだと思っています。
うちも気にしていません。
それよりも、ひとつの事を掘り下げて学習する、、、ホームスクールならではの特典ですね。羨ましいです。
うちは、学校が始まって、日々の宿題に追われ、なかなかできないでいるので、、、。
この「宿題」を完璧にこなそうとする、日本人気質が、時々恨めしくなります。
「今このとき」、、、私も将来の事に煩わされないで、今、子供達と過ごしているこの時間を大切にしようと改めて思いました。
素敵な記事をどうもありがとう。
Yukikoさん、
まるで長年この日を待っていたかのような言い方に、大笑いしそうでしたよ。
暖かい励ましの言葉をありがとうございました。ホント子育ては忍耐ですよね...って、育てているはずの私が育てられているわけですが。(^^;)
「宿題」を完璧にこなそうとする日本人気質...なるほど。それにしても、日々の宿題は補習校のものがあったり、学校のものだったり、公文もあるのかな?量は多そうですが、内容はバラエティに富んでいて、科目に偏りがないというメリットがありますよね。ThanksgivingやChristmas休暇などに、フィールドトリップを取り入れた楽しいプロジェクト(掘り下げた学び)ができるといいですね。
お互い、今を大事にがんばりましょうね~。
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