5月初旬、あるホームスクールママのためのメモリアルサービスの案内がホームスクールメールループを通して入ってきた。そこに彼女についてこのように書かれてあった。
Kathy はホームスクーラーで、私達の多くにとって親友でした。そのKathyが金曜日に昇天されました。12年間乳がんと戦い、その間1度たりともつぶやくこ とはなく、歩けなくなってからもベッドの中で、子供たちとホームスクールを続け、最後まで夫と子供たちのためにつくしていました。彼女は12歳~18歳ま での 4人の子供たちの母親でした。
直接面識はないけれど、同じ信仰を持つ者として、(又、ホームスクーラーとして)、彼女の日々の歩みが、一枚の美しいタペストリーとなり、そこに敷かれているのが見えるよう。そしてそれが後から来る者にとっての道しるべとなっている。もはや悲報ではない。
信仰は、望んでいる事柄を保証し、
目に見えないものを確信させるものです。
Now faith is the substance of things hoped for,
the evidence of things not seen.
(へブルHebrews 11:1)
目に見えないものを確信させるものです。
Now faith is the substance of things hoped for,
the evidence of things not seen.
(へブルHebrews 11:1)
こ のメールを見てしばらくして、私も乳がん検診(マンモグラフィー)でひっかかった。幸い2度目の検査では特に何も見えなかったとかで、さらなる検査は必要 ないと言われたが、あらためてあたえられた時間について考えさせられた。こういうとき、日数が満ちてしまわぬうちに家族とあちこち(世界遺産など) 行っておこうとか、新しいことに挑戦してみたいというようなことは、意外と思いつかないものなんだな。むしろ今のままのホームスクールの毎日をふつうに続けられ たらそれが一番だと思った。
不ぞろいなところがあるけれど、そのときそのとき、そのシーズンにあたえられた糸を使って、私なりのタペストリーが今織り込まれている。不器用でもよいよい。仕上がりは神様にお任せしよう。(^^)
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