

ホームスクールをやっているというと、よく教師の資格を持っているの?と聞かれることがあるが、答えはNo。私は資格を持っているどころか、教師には、全く向いていないタイプだと思う。
ホー ムスクールといっても、色々なスタイルがあると思うが、私は、(おそらく多くの人がイメージするような?)教師には、なりきれていない。というか、タネを 明かせば...私は教えていない。うちの場合、私は、子供達にとって、先生というより一緒に学んでいる同級生のような存在でいる。ま、それでもクラスをま とめようと仕方なく(?)雑用を買ってでたりするので、学級委員ってところだろうか。
し かし、学級委員なら、優秀(?)だろうから、翌日のクラスの予習くらいは、しておくものだろうが、私は、それすら満足にしていない。その場、その場で、 子供達と事典や参考書を開いたり、フィールドトリップに行って、「へー」とか、「すご~い!」とか言いながら一緒になって感動しているだけだった りする。
私の場合、常に自分が子供より先に学んで、それを教えるという形を取っていたら(自分の知識の中から教えていたら)、すぐに行き詰まってしまうに違いないので、このアプローチは、これからも変わることはないだろうと思う。
去 年の春、ホームスクールママを卒業した友人がいる。息子さんは、現在フルスカラーシップをもらって大学でエンジニアリングを専攻しているという。「どう やって理数を教えたの?」と聞くと、「私は教えていないわ、理数系の科目なんて私全然ダメだし...彼が勝手に学んだのよ...神様にお任せしていれば何 も心配することなんかないわ」という答えが返ってきた。そんなものなのだ。彼女だけではない。先輩ホームスクーリングママに話しを聞くと、必ずこういう答 えが返ってくる。
やっぱりそうよね...といいながら、以前は、こういう話を聞いても、どんなふうにどんな科目を教えようかと考え、子供 達が、普通の学校に編入するような ことがあったとき、どの教科も遅れをとらずに、学校生活にすぐに順応してゆけるだろうかとか、将来の仕事につながる科目に重点を置くべきか...というよ うな ことばかりを心配していた自分を思い出した。
不思議と今はそれがなくなった。うちの場合...私が子供達の模範(?)となって、自 分自身が学 ぶことを楽しんでいれば、それが一番と思えるようになった のだ。実際に、私も学級委員(?)として子供達と同じペースで、毎日学んでいるので、そんなことを心配する余裕すらない。それがよいのかな。
こ んなふうに書くと、私は難なくホームスクールをやっているように思われるかもしれないが、決してそうではない。最近、うちでのホームスクールの土台が固 まってきたというだけで、チャレンジは、あちらこちらに存在する。たとえば...ホームスクールは、肉体的に過酷だなと思う日があったり、教材を全部手作 りできない不器用な私のような者には、経済的な負担が大きいと感じたりもする。このことは、またいずれ...。
下の聖書の御言葉は、今年に入って何度となく読み返したもの。私にとって、サムとマリは、神様から割り当てられている人たちだもんね。
あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。
Be shepherds of God's flock that is under your care,
強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、
serving as overseers-not because you must,
卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。
but because you are willing, as God wants you to be;
not greedy for money,but eager to serve,
あなたがたは、その割り当てられている人たちを
not lording it over those entrusted to you,
支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。
but being examples to the flock.
(第一ペテロ 1 Peter 5:2-3)
*写真は、金曜日のClassical Conversationsのサイエンスのクラスで地盤の動きを再現する実験をやっているところ。