Thursday, March 31, 2011

羊に魅せられて...


鶏がやってきて、牛がやってきて、羊がやってきたわけですが...羊というのはこれまで飼った動物とはちょっと違うと感じています。羊ファームClover C FarmのCarvel叔父さんの「一頭飼うと、もっと欲しくなるよぉ〜」という言葉にすっかりのせられてしまったのか、ここのところ、スマッジを見る度に羊を増やすことばかりを考えてしまいます。いかん、いかん。

そもそもスマッジを迎えたのは、群れから引き離されてうちにやってきた子牛のブラッサムにコンパニオンを与えるためでした。もう一頭牛を入れるとしたら肉牛ですが、あまりにもお別れが早く来そうで、肉牛は今回は却下となりました。山羊も考えました。でも、山羊は植物であれば(いや、それっぽければ)なんでも食べてしまいます。果樹園やハーブ&野菜畑が心配です。おまけに高いところにジャンプするので、フェンスはあてになりません。友人のファームで、ロンリーな山羊がフェンスを超えて、家のドアをしつこくノックしてメェーとないているのを見た事があります(ホントだよ〜!)。外に干してある洗濯物も食べたりもしてましたっけ。結局、家の周りに植わっているバラを犠牲にする決心がつかなかったこともあって、山羊のオプションもなくなりました。

それで羊に白羽の矢が立ったというわけですが...今思えばこれが一番危険なオプションでした。

羊は...

臭くない(犬や牛よりという意味)
モコモコしていて触りたくなる
ついてくる(訓練された犬よりはるかに忠実...群れがないと不安というだけだが)
ウールがとれる
寒さに強い
ラック・オブ・ラムはおいしい
平和

実のところ、ブラッサムは、ひとりぼっちでもOKな感じですが、スマッジはいつもそばに誰かがいなければ安心できないようです。つまりコンパニオンを一番必要としていたのは、ブラッサムでなく、スマッジなのでした。(^^;)牛にくっついてまわる羊なんて見た事ないと言われますが、スマッジは私がいなければ、必ずブラッサムにくっついているのです。

哺乳瓶でミルクを与えている私の声を聞き分けているのか、においでわかるのか、姿格好でわかるのか、なぜだか私に一番なついています。私が行くところはどこでもついてくるので、サムが「メリーさんのひつじ」を「きこ」に替えて歌ってくれます。まるで羊飼いになった気分です。


羊は一頭では生きてゆけません。一頭にされれば、そのあたりにある動くものにくっついてまわります。それが人間であれ、牛であれ、羊の皮をかぶった狼であれ...ついてゆきます。群れになって変なものについてゆくということもあります。また一度ついてゆくと、その先頭にあるものが車の通る大通りを歩こうが、草がまったくない荒れ地を歩こうが、羊自らが危険を察知して回避することは、ありません。

フェンスをくぐって、バーンやガレージを行き来する私の後をテクテク平気でついてくるスマッジに「私だからいいけど(あてにならない羊飼いですが)、これが私のような格好をした盗人だったらどうするのよ?」といいながら、聖書に書かれてあるキリストの言葉を思います。


わたしは、よい牧者です。良い牧者は羊のために
いのちを捨てます。牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、
狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。
それで、狼は羊を奪い、また散らすのです。
それは、彼が雇い人であって、羊のことを心にかけていないからです。
わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。
また、わたしのものは、わたしを知っています。
    I am the good shepherd. The good shepherd
lays down his life for the sheep.

 The hired hand is not the shepherd
and does not own the sheep.
So when he sees the wolf coming,
he abandons the sheep and runs away.
Then the wolf attacks the flock and scatters it.

The man runs away because he is a hired hand
and cares nothing for the sheep.
    I am the good shepherd; I know my sheep
and my sheep know me—
(ヨハネJohn 10:11-14)


私たちはみな、羊のようにさまよい、
おのおの、自分かってな道に向かって行った。
しかし、
主(父なる神)は、私たちのすべての咎を
彼(キリスト)に負わせた。
We all, like sheep, have gone astray,
   each of us has turned to our own way;
and the LORD has laid on him
   the iniquity of us all.
(イザヤIsaiah 53-6)
 ダニエルは子どもの頃(6歳くらい)、羊飼いをしていたことがありまして、その経験から羊を飼うことを快く思っていませんでした。3つ上のお兄さんと羊の番をしていると(きっと遊んでいただけ^^;)、いつもいつのまにか群れがいなくなり、父親に叱られ、夕刻に群れを探しに行かなければならないのが、とても嫌だったそうです。ヨハネ10章にあるような羊の所有者でない雇い人のような羊飼いモドキをしていたのでしょうね。そういう私も同じくモドキですが。

今朝もスマッジは私の足元にぴたりとくっついて歩いていました。ときどき私を中心にして弧を描くように歩こうとするので、蹴飛ばしそうになるのですが、それでも私から離れません。私が座って動かないのを確認すると、ちょっとばかり距離のあるところで草を食べ始めますが、立つと、慌てて走ってもどってきます。こんな羊飼いでも、自分の羊はやはり愛おしく、厳選したよいもののみを与えています。

キリストを主(羊飼い)とする幸いをスマッジから教えられています。(^^)

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