いたってのほほ〜んっとマイペースなのです。
去年、ホームスクールのクラスで、マリが嫌な思いをしていないかと先生が、私に聞いてきた事がありました。なんでも、教室移動のときは、必ず手をつなぎ、トイレには一緒に行き、授業中も常にアイコンタクトをとり、他の子どもを仲間に入れようとしないグループができあがっているとか。そういうグループの子ども達からマリが仲間はずれにされているような気になっているのでは...と、話の切り出しはこんなでした。
母娘ともに鈍感な私達。「まぁ、そういう年齢なのでしょうかね。彼女(マリ)は、特に気にしていないようですし、これから先、そういうこともいくらか経験することになるだろうし...」と大して気にならないというような、はたまたマリにとっては、それほどマイナスなことではないというような返事をしました。娘がそんなややこしい(おつきあいがめんどうくさそうな)のグループに入っていないことにかえって胸を撫で下ろしていたのです。
でも、これには続きがありまして...
その先生の娘さんもその仲良しグループに入っていて、ある日そのグループの子達でトイレに行ったときに、先生の娘さんがその女の子達によって、トイレに閉じ込められた(手でドアを押さえられて、なかなか出してもらえなかった)というのです。友達だと思っていたのに...と、先生の娘さんは、しばらく落ち込んでいたそうです。ちょっとした悪ふざけだったのでしょうが、これから先、それがどんなふうにエスカレートしていくか、そういうことも考慮しなければならないということです。
そこで、先生はそういう行為があってはならないと関わった子ども達の親と話し合ったようです。また、排他的な仲良しグループを作らせないようにと、アシスタントをつとめる私達父兄にも協力を求めました。仲良しさんとだけ遊ぶのではなく、誰でも仲間に入れるような環境づくりについて家庭で話し合うとか、特定の仲良しを隣同士に座らせないとか。以来、とりあえず授業中は仲良しグループは目立たなくなってきましたが、休み時間やランチのときは、やはりグループができています。
でも、よく見ると...あらあらママ達のあいだでもグループが!!まず見直さなければならないのは、親のほうです。
そんなつもりはなくても、いつのまにか、いつもの面々のグループが、外の人が近寄り難い排他的なものになっていることがあります。そういうことを避けるためか、性格なのか、グループをつくらない人も中にはいます。
私も確実にそのひとり(性格ですが)...大きなグループに「私も入れて〜!」と入っていってランチをするでもなく、ただ自分が座れるだけのスペースが有る場所を適当に探して、たまたまその辺に座った人と喋るくらい。お喋りができない日があってもなんとも思わない。自分からは用がない限りは、決してにぎやかなグループには近寄りません。かといって、一匹狼ママにあえてこちらから話しかけることもせず...これじゃぁマリと全く同じじゃないですか!もっと周りに気配りするべきでしょう。
そうえいば...サンディエゴ時代に、義母が遊びに来まして。いつもの公園でママ友達と話をしていたら、義母がすかさず私のところに来て、はじめてみるであろう親子連れを指差して、「あの人、知ってるの?どうもひとりで寂しそうよ、話しかけてみたら?」と言うので、非常に戸惑ったのを思い出します。私は、この公園の主じゃないんだし...もしかしたら独りでいたいって思ってたとしたら...と色々な言い訳が過ったものでした。
でも...今になってそういう気配り(おせっかいともとれる?)がとても大切に思えてくるのです。もっと周りに目を向けて、つながりを築いていく努力をしなけば。そういうことを義母は私に教えたかったのでしょう。それにしても義母くらいの年齢になるとそういうことが自然にできるようになるものでしょうか。「いやいや、(義母の)あれは生まれつき..」とダニエルは笑いますが。
さて、マリの話にもどりますと...
現にバレエでもそうでしたが、リサイタルの控え室で、DVDを見ている子ども達の輪からぬけて、1人で絵を描いていたマリのところへ、もう1人女の子がやってきました。リリィです。彼女もDVDには興味がなかったようで、二人で絵を描いたり、何やらおしゃべりをして楽しんでいました。
ぎゅうぎゅう詰めの窮屈なところで、前の人の頭でよく見えない画面を見ているのが億劫だったとか...もっと楽しいことがしたかったとか。わかる、わかる。(^^;)
4 comments:
あぁぁぁ・・・。
なんてタイムリーなんでしょう!
実は長女の補習校でのお友達関係が微妙なのです。
長女はいろんな子と仲良くしたいのですが、長女を独占したい子(一人っ子)がそれを許さず、ほかの子とお弁当を食べることも会話をすることもままならないようで・・・。(苦笑)
仲良くしていただくのはとてもありがたいのですが、束縛はしないで欲しいんですよね~。
確かに排他的なグループ、ありますあります。
やっぱり、そういうのってよくないですよねぇ。
今後の課題です。ヴヴヴ。
あいさん、
女の子達のお友達関係って、なんかこう微妙で複雑ですよね。わかるわかる!仲間はずれもつらいですが、独占されるというのもかわいそうですねぇ。自分はこうしたいとか、嫌なことは嫌だときちんとコミュニケーションがとれればよいですが、それは大人のあいだでも難しいことですよね。
これまたタイムリーに、日曜日のメッセージであったのですが...
自分のAuthorityが誰なのか...自分の感情や友達や社会ではないということをしっかり念頭に置いて周りと接するということがキーではないかということです。これは私の課題でもあり、これからの子ども達の課題でもあります。神様を中心に置くということで、サムの友達や妹に対する思いやりのない言葉(本当のことを言ったまでだ!と彼は言いますが...^^:)や友達に言いくるめられて流されてしまうかもしれないマリの弱さ、そしてその両方の欠点を兼ね備えている私自身の言動も正されると考えています。
相変わらず子どもたちと一緒に、子ども達のレベルで学ばされている私です。ははは(^^;)
きこさん
こういうことが、どこにでもあるんだね。
また、年齢が進むほど色濃くなってもいくのかな。
日曜のメッセージ、とってもためになったよ。
・自分のAuthorityが、自分の感情や友だちや社会ではないというこをしっかり念頭において・・・・
・神様を中心におく
気がつくと、自分の感情がいちばん、自分のAuthorityになっているなあ(苦笑)。
ほんとうに、わたしの課題だなあとつくづく思います。
人との関わりはもちろん、生活全般においてね。
そうか同時に、子供たち一人一人にとっても、課題なんだね。
「わたしがもっと(しっかり)・・」と、
つい、思いながらも、無理で、落ち込んでばかりいるけど、そうではないね。
わたし、mnm、mnr、ひとりひとりが、
課題として見つめて生きる事柄でもあるんだね。
思春期に入ったmnmとの生活からくる不安に振り回され(どうあつかっていいやら、というような)、ものすごく繊細な部分をmnm以上に持っているmnrの、だんだ
心のひだが深くなっていっている様子にとまどい(!?)、わたし、こんなんでいいのか?という不安にふりまわされていることに、気がついたよ。
振り回されているときに、「自分のAuthoriryは誰だっけ?」と、<戻る>ことが出来るようになっていきたいと思ったよ。
きこさん、ありがとう。
fkmさん、
fkmさんのところもそうですか。私もつい自分がまずしっかりお手本にならなきゃって、いきごんでしまいます。
でも実際は...子どもも私も同じ「人間」、しかも遺伝子のせい(?)で遭遇する問題もよく似ていて、こりゃぁ同じレベルで励まし合って祈り合って支え合っていくしかないなぁと思うのですよ。
自分の真のAuthorityからフォーカスがずれると、ただいたずらに不安が心につのりますよね。
お互いがんばりましょう!
fkmさん、ありがとう!
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