Thursday, May 15, 2008

イエスさまと共に

                              
最近、ファミリーデボーション(家族で聖書を読んで祈る時間)に、子供達にその日の聖書の箇所のスキット(寸劇)をやってもらっている。二人しかいないので、一人で何役もこなさなければならいのが、見ていて面白い。(^^)

「僕も絶対Jesus(イエスさま)を起こすよ、だってそんな大変なときに寝ていられたら困るよ」とサムが言った。ファミリーデボーションで、マルコの福音書の4章をやっていたときだった。

さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう。」と言われた。そこで弟子達は、群集をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」(マルコ4:35-40)

だよね、こんな状況だったら何とかしてもらいたくて、遠慮がちにでも、イエスさまに「あのぅ、舟が沈みそうなんですけど...」くらいは言いたくなるよね。この弟子達の中には、漁師もいるわけで、その人たちが危機を感じていたくらいだから。

そこで「たとえ舟が沈没して溺れてしまったとしても、Jesus(イエスさま)と共にいるんだから何も恐れることなんかないさ」とダニエルが言った。

そうだね...嵐を止めてもらえると思い込んでいることこそ、まだまだ委ねきっていないってことだね。たとえ嵐が止まらなくても、なんら恐れることはないんだ。イエスさまと共に舟に乗っているのだから。

私自身は...やはり試練の中で嵐を止めてもらうことばかりを願うあまり、イエスさまが一緒に舟に乗っておられるということがどういうことかを忘れてし まっていることがある。思い通りにことが運ばれていなくても、イエスさまが共にいてくださるのだから、何も恐れることはない。私の思い通りになること=良 い結果ではないものね。

ふと、横にいるマリを思い、この子ならどうするだろうと考えた。こんな状況、この子なら、怖くて怖くて、きっとイエスさまが寝ておられる横に突っ伏して、しくしく泣いているんじゃないかな。絶対大丈夫だからという確信のもとでというより、自分の無力さのゆえに、こうする以外には考えられないからだ。って、これ私のことだな。

たとえ舟が転覆しそうな嵐に見舞われても、イエスさまと共にいるこのVoyageのすばらしさを今一度思い起こすことができた夜だった。
                         

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